さくらめんとログ

黄昏乙女×アクラシア

本を読みました。
大澤真幸氏著『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』
もちろん図書館で借りて。図書館ってすばらしい。

大澤さんの本に出会ったのは大学の卒論テーマを考えるために色々本を読んでいた時でした。
それ以来、たまに読んだり読まなかったりしています。

この人の文章の面白いところは、議論自体はちゃんと哲学系の方向なんですが、
例として出してくれるものがなかなか幅広くて、たまにニヤリと出来るものがあったりするところ。
もちろん、例に出したものの内容を噛み砕いてまとめてくれているので、問題なく読めますし。

章分け、見出し分け、さらにその下に小見出しと細かく分けてくれていて、
とりあえず小見出し一つ、と言う感じで気軽に読めるのは上手い作りしてるなぁと思いました。
先のページをぱらっとめくってみて、十数ページも続いてたら萎える時ありますからね。


本書の内容としては、題の通り正義についての考え方を色々やってくれているのですが、
それだけでなく寄り道を含めた解説の中で、様々な用語が出てきます。
そんな中で気に入ったのが「アクラシア」と言うものです。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスがその存在を証明しようとして上手く行かなかったという概念。
簡単に説明するとこんな感じです。

ある事をすると、よくない事になる。
それを理解しているのだが、どうにもやってしまう。
例えば、ダイエットをしているのに、ついついケーキを食べてしまうような。

そんな事ありますよね。
意志の弱い状態です。
ソクラテスは言いました。
「それはつまり、その人が本当は悪い事だと理解していないだけだ」
と。
しかしアリストテレスはそんな事は無いと思うわけです。
ですが彼は哲学者として、アクラシアは存在すると言う確固たる証明が出来なかった。

私達にも感覚としては理解できる現象なのに、何故証明が出来なかったのか。
それは「善」と言うものの捉え方に違いがあると大澤さんは指摘します。

古代ギリシアで考える「善」とは「全てがそこに行き着く」くらい完全なものを想像していたのです。
ソクラテスはそれに基づき自ら死を選んだ。
アリストテレスの場合は、中庸の徳と言うことになりますが。
善なるものは、唯一無二でなければならない。
その前提に立って考えていたから、上手く証明できなかった…と言うお話です。


そしてその後、資本の話に移って行くわけですが。
まぁ、書き過ぎるのもあれなので、興味が沸いたら実際読んでみて下さいと言っておきます。
本題について楽しむのもいいですが、こういう風に横道知識で興味の対象が広がると言うのも読書のいいところですよね。
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  1. 2011/05/15(日) 13:25:29|
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